えーとこの場所、もう誰のお目にも触れてないと思って
好きなこと書いてますけどすみません(笑)
今日は【昭和のファッション界の巨匠
“早川タケジ”について語ろう】の巻です。
ジュリーよりひとつ年上の、現在71歳。勿論ご存命です。
画家であり、イラストレーターであり、アートディレクター・そして
デザイナーでもあります。
元々自身がファッションモデルとして暫く仕事をしたものの、僅か3年ほどで「作り手」側に転じました。
その当時の日本にはない大胆な発想と表現力で、アートファッション20世紀の巨匠たち展で日本人で唯一選出された
鬼才と呼ばれた人です。
その鬼才が26歳の時の1973年、ジュリーのスタイリストに抜擢されました。
曲で言うと「危険なふたり」からです。
タイガースでデビューし、PYG時代を経て独り立ちした沢田研二ですが、4作目まではダッサダサでした、ハッキリ言って(笑)
端正な顔立ちは持って生まれたものでしたが、ただただ長く伸びた髪は顔に影を作り、無表情で突っ立って歌う。
TVでのファッションもタートルの白いニットにパンタロンみたいな実に無難な出で立ちでした。
その当時の早川タケジの言葉として印象的なのが
「私は何億人に一人という“天然記念物的に美しい人”が大好き」という一言。
ここに早川タケジのターゲットとして、沢田研二がバチ———————-ッとハマる訳ですね。
新・御三家として出て来た秀樹やひろみ達より小柄だったジュリー(171㎝)に高さが10㎝もあるロンドンブーツを履かせ、
身長で引けを取らないようにしました。
デニムのベルトループ部分が2段になるよう付け足してハイウエストにし、より足が長くタッパがあるように見えるように工夫。
サイドの髪は流して耳を出し、大きくはっきりした目元を強調するよう額を出すなどさせ、ジュリーがどんどん垢抜けて
いきます。
元々自己主張が少なく、人の言うことに従順だった彼は早川タケジが用意するものを上から下まで全部言われた通りに
身に着けました。
時には外国製の総レースのテーブルクロスをジュリーに巻き付け、その場でジョキジョキ裁断&仮縫いし、ステージ衣装の
ブラウスを製作したという逸話も。「何時間にも及ぶ仮縫いに文句のひとつも言わず、ジュリーはとても辛抱強い人だった」と
後に語っています。
そしてパナマ帽を飛ばしたり、ポリス帽を阿弥陀に被って片目しか見せなかったり、ウイスキーを霧のように吹いたり、
“OH!ギャル”ではディートリッヒばりなメイクを施し、この路線が大爆発!
これらの演出にはお茶の間から「淫らだ」とか「子供の教育上、悪い」などの意見が寄せられたというが、ジュリー本人が
所属事務所社長に「オカマ(に見えて)でも何でもいいからやる!!」と直談判し、そのまま継続。
しかし問題が発生します。
“TOKIO”でパラシュートを背負いながら電飾で飾られた衣装で歌うことになった時。
タイガース解散以降、ずっとジュリーを支えてきたバンドのリーダーである井上堯之があまりにヴィジュアル路線に突っ走るジュリーに「もうこれ以上一緒にやれない」とバンドの解散を申し出たのです。
絶大な信頼を置き、長年共にやって来た仲間から突き付けられた別れ。
ソロ歌手ではなく、あくまで井上堯之バンドのVo.であると自負していたジュリーのショックは大きく、早川タケジと井上堯之の
狭間で悩み、胃潰瘍に倒れてしまいます(この後、丸ひと月入院する)。
しかし結局このヴィジュアル路線を貫く事を選択し、復帰後も両目に色違いのカラーコンタクトを装着、歌いながら毎回破く
ビニール製のジャケット、歌唱中に煙草をくゆらせ、挙句にカメラに向かって吹き飛ばすなど、ことごとく誰もやらなかった
事を日本のミュージックシーンに取り入れ捲り、確固たる地位を築き上げます。
“晴れのちBLUE BOY”では軍服のウエストに100Vのサーチライトを着け、歌唱中に服地が熱で燃えるというハプニングも。
プロデューサーの加瀬和彦はそんな様子を面白がり、「ジュリーは大勢の人に見られることでエネルギーを出す男。
テレビに出れば出るほど、持ち味を出して輝いた」と語りました。
そんなわけでジュリーと言えば今でもパナマ帽を投げたり、真っ赤な羽毛のストールだったり、ジッパーを半分開けたデニムのウエストに差し込まれたヘネシーボトルを思い浮かべるほど鮮烈な印象を視聴者に植え付けました。
自らの事を「与えられた仕事は一生懸命やるけど、自分から夢を追いかけるタイプじゃない」と語るジュリー。
芸能界での成功はこの早川タケジとタッグを組んだところから始まったと言っても過言ではないのです。
早川タケジがいて、その考え抜かれた戦略があってこそのジュリーの大ブレイクだった訳です。
ファッションだけでなく、早川タケジはジュリーのレコードジャケットも沢山手掛けました。
「時の過ぎゆくままに」「カサブランカ・ダンディ」「TOKIO」「ダーリング」「恋のバッドチューニング」「S/T/R/I/P/P/E/R」etc…。
それらも逐一洒落ており、他のジャケットとは一味も二味も違います。
確かに今ではMacでいとも簡単に出来ることを全部手動でやっていたのだから驚きです。
面白いことをどんどん考えつき、尽きないアイデアと多大な影響力を兼ね備えた、早川タケジはあの時代に
唯一無二の存在だったと言えます。
そんな早川タケジの功績を一冊にまとめた写真集“paradis,paradis”がリトルモアから出版されています。
この本の装丁を手掛けたのも勿論本人である故、写真と写真の間にフイルムが
挟まるなど非常に面白い作りになっています。
この本には他にも観月ありさ、松雪泰子、アン・ルイスのスタイリングなども収められてはいるが、全128ページ中100ページがジュリーのスタイリングに割かれた、もう「ジュリー写真集」と言っても過言ではない一冊。
家宝として一冊ぜひ入手しておきたい本である。
なかなか入手困難な本ですが、みなさんも万が一見かけたら一度お手に取って
みて下さい。
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